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僕の不在と君の幸せ

 

 

 

 

 

「くっそう、一向に情報が掴めやしない……」

「もういいんです、駄目で元々と思っていましたから」

「ウィリーさん、それはうちの信用に関わるから!」

 申し訳なさそうにハタキを持っている紳士に全力で言う。本当は、信用なんてただの建前。俺、神居奈央は、この細身で針金のような体、丸くて単眼の顔を持つ人外と少しでも一緒にいたいだけ。客に惚れるなど本来御法度。それでも俺は、びしょ濡れになりながら主人を探してくれと懇願した彼の必死な顔に、恋をした。あぁ、なんて不毛なことだ。

「はっ、金にもなんねぇようなこと安請け合いするから悪ぃんだよ、バカ奈央」

「うるさい、イガード」

 隣に立ち、悪態を吐く助手。彼は尖った角、瞬発力のある脚、大きな耳や尻尾を持った多眼の人外。態度もでかけりゃ、図体もでかく、ウィリーとは大違い。けれど、そんな彼が言うことも事実。俺は現在、大事なお客の探し人を見つけられず、情報という名の紙の山と、イガードの罵詈雑言に埋もれて喘いでいるのだから。

 

 

 ことは、二週間ほど前に遡る。外では、酷い雷鳴とコンクリートを叩く雨音が響いていた。俺は、来訪者などないだろうと頬杖を突いて日がなソファから事務所のドアを見つめていた。もういい加減事務所を閉めようかと思ったとき、ノックの音が響いた。ドアを開けると、上品で整った衣服をグシャグシャに濡らした紳士。

 こんな時に来る客なんてろくな客じゃねぇ、と耳元でイガードが囁いた。それを無視し、彼を来客用ソファに座らせる。彼は、ホッとした様子で肩の力を抜いた。温かいお茶を持ってこさせる。こんな時だからこそ、本当にこの事務所を必要としている客だと思うのだ。それに、仕事は一つでも多いほうがいい。

 この事務所には、銀色の表札が掛かっている。

『人外よろず相談所―KAMUI―』

 

 かくして勢いのままに依頼を受けた俺と、それに愚痴を言うイガードを見るたび、ウィリーは困ったように目を伏せる。

「だいたい、客を事務所に住ませてなんかあったらどうすんだよ!」

「家に上げるのは嫌だって言い張ったのはお前だろ」

 本人の目の前ですら暴言を吐くイガードのせいで、ウィリーは事務所を出ていこうと度々言い出す訳だけど、その度必死に俺は止めるのだ。

 勿論俺が恋をしているから、ということもある。けれど、それ以上に、このご時勢主人を失った使用人をうっかり外に出せないということが大きい。奴隷商人にでも捕まろうものなら、どうされるかなどは分かったものではない。この時代では、人が人外を、人外が人を、もしくは人外が人外を、人が人を支配し、支配されているものを見下すことなどよくあることだ。そして、尊厳を傷つけ、モノのように扱うことが当たり前のように横行している。万が一にも依頼人が危険にさらされるようなことがあってはならない。

 だから、今日も今日とて遅々として進まぬ情報収集に勤しむ。杳として行方の知れないウィリーの主人を見つけるため。彼の主人は少なくとも最近この街では見かけられておらず、最後に目撃されたのが、ウィリーが事務所に来た一週間前で、馬車で街の外に向かっていたらしい。ただ、その近くの街で話を聞いても、その馬車が帰ってきたという目撃情報がない。家の者は諦めてしまったのか、主人は息子の代に変わったらしい。もう探しても遅いかもしれない。しかし、希望は薄くとも、彼のために主人を見つけようと思う。いつまでも見つからなければいいと願う自分の想いには蓋をして。

「ワタクシは、あの方の下に戻りたい」

 あの日、彼はそう言ってたった一つの眼を伏せていた。悲しみの色が濃く滲んだ顔。その顔を隠すように引き下ろされたシルクハット。弱々しいその様子に、同情した。けれど、彼が顔を上げたとき、そんな思いは吹き飛んだ。  

悲しみに暮れるその顔には一途かつ、強い彼の想いが隠れていて、必死なその様子に、強く主人に焦がれた瞳に、どきりとした。彼の主人には、俺はなれない。けれど、彼が主人のもとに帰ったときの笑顔が見たくて、一瞬でもその笑顔を独り占めしたくて、俺は報酬の金額すら聞かずに依頼を受けたのだ。しかし……

「埒があかないわー、ちょっと気晴らしに外行くか」

 こきりと首を鳴らす。いい加減、紙の束の相手ももう疲れてしまった。

 

 

 レンガ通りを歩いていく。辺りを見渡すと、本当にこの街は様々な種類の者がいる。天使や人間、狼男などのわかりやすい種族もいれば、見たことのないような種族もいる。見るからに高価そうな宝石を身につけるものもいれば、何日も洗っていないような服を着たものが路地裏で身を寄せ合っている。道行く人の中には、鎖をつけた奴隷を連れた御貴族様もいる。それが、この街では当たり前で、自分が平民であることに感謝させられる。

 ふと市場を覗くと、青果売り場に見たことのある顔を見つけた。どこで見たのかと頭を働かせ、ハッとする。運がいい。最近相手をしていた紙束の中に彼の顔が載っていたではないか。客を装って、隣に立つ。

「こんにちは、今日はお宅の食材を買いに?」

 気のよさそうな中年の竜人がこちらに顔を向けた。

「おお、兄ちゃん、あんたもどこかの家のコックかい?」

「いいや。そんなたいそうなもんじゃないさ。見たとこ、そちらは結構いい家に勤めてるみたいだね」

 おっさんは、うろこで覆われた顔をくしゃりと歪め、自慢げに笑っていた。

「まぁな。主人は前も今もいい人だし、結構いい金もらってるし、職場環境もいいし、満足さ」

「へぇ、主人が変わったのか、大変だね」

 彼は肩をすくめながら、目の前のりんごを品定めしていた。

「若旦那様はしっかり者だし、大旦那様もきっちり仕事を下ろしてらしたから問題ないよ。それより、執事頭のウィリーさんが居なくなったことの方が問題だね」

 なんてことのないように言う。まるで、主人ではなく彼の方がなんの手がかりもなく失踪したかのように聞こえた。全くもって意味が分からない。どういうことだ、と質問を続ける。

「そりゃ大変。執事頭がいなくなったら仕事がまとまらないだろう。ところで、大旦那さんは引退を?」

「田舎の別荘にご隠居だそうだ。まぁ、いいお歳だしな」

 なんでもないことのように、彼は答えた。

 ああ、なんてこった。

 

 

 かくして、事態は振り出しへ。事務所に戻った俺は、あっさりと教えてもらった主人の行方を片手に頭を悩ませる。突っ伏した机が頬に冷たさを伝える。

「なー、どーいうことだと思う、イガード」

「あいつが大嘘つきってこった。そういう奴を信用して痛い目見る前に、早く追い出せ」

 取り付く島もない。眉をひそめ、そっけなく言い放つ。

「だいたい、お人好しでお節介すぎんだよ……本当に取り返しのつかないことになったらどうするんだ」

 ふいっと背を向ける彼の尻尾を捕まえる。ひゃっと一段高い声が上がり、毛が一気に逆立った。彼は慌てて尻尾を大きく振り、手を離させた。振り返った顔はほんの少し赤らんでいた。尻尾が性感帯ですぅ、なんてお約束な話でもあるのかな、と、場違いなことを考えるが、厳しい顔になった彼の顔を見て、そんな思考を止める。

「何しやがんだ! もういい、何が本気の顔だった、だ。せいぜい騙されて阿呆面晒せこの色ボケが!」

 散々罵倒するだけして、事務所を出て行ってしまった。イガードのこの気の短さだけはどうにもいけない。やれやれと息を吐く。頬杖を突いて、さて、どうしたものかと考える。イガードは嘘だというが、やはりあの日の、ウィリーの想いや言葉が全部嘘だとは思えない。

「あの」

「ふぇ!」

 突如、後ろから声をかけられ跳ね上がる。そこにはいつの間にかウィリーが立っていて、あたふたした。彼は、ことんと机の上にコーヒーと砂糖を置いてくれた。使用人だったからなのだろうか、それとも彼本来の気質なのか、本当によく気がきく。

「根を詰めて作業してくださるのも大変有難いのですが、少し休んだらどうですか」

 彼は、どうして嘘なんてついたんだろう。

「ご主人様は一体どんな人だったんですか」

 彼はその眼をパチクリさせた。そして、嬉しそうに、本当に嬉しそうにその眼が細められた。満面の笑みというのは、きっとこんな顔。ドキリとした。胸が高鳴った。息が止まった。頬が緩んだ。

「とても素敵な方です。優しくて、穏やかで」

 静かに、ゆっくりと息を吐いた。その笑顔が、自分に向けられたなら。今までみたこともないようなその笑顔は、俺なんか見ていなくて、別荘にいる主人への、思慕。言葉を、感情を、思い出を、壊れ物を扱うかのように大事に語るその顔が、綺麗で、愛しくて。

「眩しくて、見えないよ」

「あ、すみません。そちらからだと逆光ですね」

 慌てて窓側から俺の前側へと、彼は立ち位置を変えた。さっきまでの笑顔が隠れた。それに、どこかホッとしつつも、悲しくなった。いつもは砂糖を八つ入れるところを、二つに抑えたコーヒーを飲み干す。口内一杯に広がるコーヒーの独特の香り。苦い。顔をしかめそうになるのを全力でこらえて笑顔を作る。彼の笑顔を再び見るのは、きっと彼を失う時で、けれども格好つけて、言う。

「そんなに大好きなご主人様なら、早く見つけてやらなきゃな!」

 ウィリーが浮かべた笑みは、少し陰っていて、その指は強ばっていた。今なら分かるそれは、罪悪感からか、真実を知られる恐怖からか、申し訳なさからか。理由は知らない。けれど、俺は今から、彼の主人じゃなくて、彼の心を探しにいかなきゃならないのだ。さらさらとメモを作り、封筒に入れる。そして、ソファに放り出されている上着を手に取り、封筒をウィリーに差し出した。イガードに渡すようにだけ伝え、事務所を後にした。

 

 

「帰ってください」

 ウィリーの愛しの老主人は、彼の名を出した途端に、穏やかに、しかし堅い声で言った。

「いや、ちょ、待ってくださいよ」

「彼の権利はもう、息子に渡しました」

 皺だらけの手でティーカップを持つその動作は上品で、彼の主人にふさわしかった。別荘の中も綺麗に片付いていて、高貴ではあるが決して華美でない。老人の人柄がよく出た温かみのある部屋だった。その老人が、なぜそうも頑なにウィリーを拒むのか。聞いた話では、仲違いした訳でもないのだろうに。

「とりあえず、話を聞かせてくださいよ、じゃないと俺もどうしていいのか分かりませんよ」

 あわあわと、追い出されるのだけはなんとか防ごうと言葉を必死で紡ぐ。何も考えずにやってきたのは間違いだったかもしれない。老人は困った顔をして、黙り込み、そして溜息を吐いた。

「こんな老い先短い老いぼれのところにいたって、有能な彼の時間を無駄にするだけです」

 ぽつりと漏れた言葉は優しさに溢れていて、けれどもこれっぽっちも彼のことを分かっていなかった。

「ウィリーさんは、貴方のことが大好きなのに」

「知ってますよ。だからこそ、私のことなんか忘れて他のことを見て欲しいんですよ。さあ、もういいでしょう。もう私は疲れました」

 すくっと、老人はソファから立ち上がった。その小さな背中を、無言で見ていることしかできなかった。その背はしゃんと伸びていて、身長も決して低くはなかったが、老人特有の脆弱さが見え隠れしていた。そんな彼の心が分からないほど幼くもなく、ウィリーの気持ちを無視できるほど割り切れもしなかった。俺だったら、どうするんだろう。それが、例えばイガードだったら。もし、俺が先が短いとわかったら。彼は俺のことをぞんざいに扱うが、決して嫌っている訳ではない。そんな彼の将来を考えたら、次を考えて早々に信頼できる相手に所有権を譲るだろう。彼のことを思って。けれど、それでいいのだろうか。本当に、それでいいのだろうか。

「そんなん知るか!」

 聞き覚えのある怒鳴り声。振り返ると、イガードがウィリーの腕を引っ張りそこに立っていた。老人は彼の姿を認め目を見開く。ウィリーの方は、実に気まずそうに、困った顔を帽子で隠そうと必死に引き下げていた。

「いいんです、イガードさん」

「あ!? いい訳ねぇだろ、いつまでも大嘘こいて居座りやがって、邪魔だ邪魔。とっとと居るべき場所に帰れっつーの! 依頼の偽りは普通に契約違反だろ!」

 けっと吐き捨てる様子に、たしなめようとすると、今度はずびしとばかりに老人を指差した。

「あんたもだ! さっきから聞いてりゃ、さもこいつの為みたいな言い方しやがって。こいつはアンタの傍にいたい、そうだろう!」

 唖然とする老人。それを意にも介さず、彼はその大きな腕で俺の胸ぐらを掴み上げた。長身の彼にそうされると、体が持ち上がり、つま先立ちになる。唸るような声で彼はすごんだ。

「お前もお前で、なんか言いたいこと、ねえのかよ、黙ってるところか、おい。所長の名が泣くぜ」

 真っ直ぐな目線に射抜かれる。すとんと、地面に下ろされたと共に、不思議と頭がクリアになった。周りを見渡す。一足先に冷静になっていた老人が口を開いた。

「帰りなさい、もうお前は息子のものだ」

 ウィリーは更に俯く。ああ、こんな分らず屋の主人なんかじゃなく、俺にしろよと、言えればいいのに。けれど、そんなの誰が望むんだろう。にっと、笑みを作る。彼の幸せは、俺の隣にはどうしたって存在していないんだ。痛いほど握り締めた手を開いて、その薄い体を押した。

「ウィリーさん。生真面目な貴方が家を飛び出すくらい、この人の傍に居たいんでしょう。それなら、ちゃんとそう伝わるように言わなきゃ」

 なんていい男なんだろうね、俺は。精一杯の見栄っ張り。好きだという気持ちは、胃の奥底に飲み込んで、消化してしまおう。

「ワタクシは、勿論、若旦那様も大事に思っております、けれど、けれど……大旦那様、貴方のお傍に居たいんです。どうしても。他の誰かでは、駄目なのです。使用人風情が言うことでもございませんが」

 徐々にその大きな目に透明な雫が盛り上がっていく。ハタハタと大粒の涙がこぼれ落ちた。それすらも美しく見えて、ただ、じっと見つめていた。彼の愛しさが、溢れているようだった。老人は、それを悲しそうな目で見つめていたが、とうとう、ゆるやかにその腕を伸ばした。

「ウィリー。お前は本当に、愚かな子だね。いいのかい」

 彼はそっと頬を撫でその涙を掬い、その顔に微笑みを浮かべた。その笑顔にウィリーの顔が輝く。

「はい! ワタクシは、貴方のことを愛しています」

 泣きながら笑うその顔は、今まで一番見たかったもので、最後まで俺には向けられなかったもの。ぐっと奥歯を噛み締めて、その眩しい光景に背を向ける。ここから先は、ハッピーエンド。邪魔をしてはいけない。彼らの幸せを祈って、そっと、呟いた。

「お幸せに」

 

 

 イガードを連れて、少し遠回りして家路を辿る。沈黙だけが横たわっていた。何か喋ったら、色々なものが溢れて来そうで、俺は必死で堪えていた。それをイガードも理解していたのだろう。家に着くまで、俺たちは一言も口を聞かなかった。家に着いて、上着を脱いで、くつろげる格好でソファに腰掛けた。

「あれで、よかったのかよ」

「よかったのさ。幸せそうだった」

 イガードは不満そうだった。そして、いつもと愚痴をこぼしていたのとは、真逆のことを言った。

「放っておけば、あいつはもしかしたら俺たちの事務所に居座ったかもしれない。あの場であの旦那にきっぱり突き放されれば、そこに付け込めたかもしれない」

「そうして、どうなる? 俺はウィリーさんの笑顔が見たかったんだ。もう十分だろう」

 付け込んだってよかった。けれど、どうしても大旦那が理由もなくウィリーを手放すとは思えなかった。だから、イガードに無理やりウィリーを連れてこさせた。

 本当は、ずっとウィリーを手元に置いておきたかった。できることなら、俺のものにしたかった。けれど、俺では彼を幸せにできないのだ。でも、俺のおかげで、彼は幸せになったのだ。傍にいるのを諦めたおかげで、彼をあそこまで導いたおかげで、彼は幸せになれたのだ。そして、願うのは、

「俺が隣にいないことが、君の最高の幸せでありますように」

 現状が彼の最上の幸せだとするなら、俺もこの想いを噛み殺した甲斐があるというものだ。

「はっ、笑わせるぜ。見栄なんか張って」

 泣いてちゃ世話ねぇな、というイガードに、うるさいと返して涙を拭う。最高の笑顔を作った。

「俺が、あの人を幸せにしたんだ」

 それだけが、俺の矜持だった。

「てめぇは、それでいいのかよ」

 何度目かのセリフ。何かを押し殺したような低くて掠れた声。同時に、ばしっと、俺の体の両脇に彼の腕が突かれる。見上げると、影になったその顔は酷い顔をしていた。彼は、心底憎らしいと言わんばかりの顔をした。否。それは悲しみ、それは苦しみ、いや、悔しさだろうか。色々な感情がないまぜになったような顔で、その鋭い犬歯で唇を噛んでいた。血が滲む。

「おい……」

 俺なんかより、よっぽど痛いと言わんばかりの顔。失恋したのは俺なのに。どうしてそんなに辛そうな顔をするのだ。

「俺は、それじゃ、嫌だ。そんなんじゃ嫌だ。どうして好きって言わない? どうして、伝えなかったんだ」

 両手が力なく下ろされる。まるで跪くように俺の足元にへたりこんでしまった。その表情は、長い前髪に隠れて見えない。

「なぁ、どうしてなんだよ。お前は幸せになれないじゃないか」

 泣きそうな声に、慌てる間もなく、彼はもう一言ぽつりと呟いた。

「なんで、俺じゃ駄目なんだよ」

 俺にしとけよ、俺だって、ウィリーを好きだった間に何回思っただろう。そんな思いを、彼もまた。

「顔、上げてくれよ、イガード」

 俯いたまま首が緩慢に振られる。彼の思いが、ひしひしと伝わってくる。いつも真っ直ぐに俺を見ている瞳に、そんな想いが隠されていたことに全然気づかなかった俺は、なんて鈍いんだろう。そんな瞳が全く見えないことに違和感を覚えてその頬を両手で挟んで顔を上げさせた。右側の二つの瞳は、きっと俺から目をそらしたいだろうに、それでもそらすことができずに、揺れていた。

「イガードは、俺が好きなのか」

 薄く唇が開く。乾いた声で彼は言う。

「俺は、奈央が好きだ。好きで、好きで、好きで、お前のことしか考えらんなくて、でもお前はいつも他の誰かが好きで、好きだと言って気まずいのも嫌で」

 吐き出すように、とめどなく言葉が紡がれていく。切羽詰ったその愛の言葉を、彼はいつから身の内に溜め込んでいたんだろうか。止まった涙がこぼれそうになる。

「俺のことを、好きになってくれよ」

 泣きそうな顔で絞り出した言葉に、もういい、とその体を抱きしめる。俺の恋は終わったけれど、こんなすぐ傍に、転がっていたものにようやく気がついた。もしかしたら、新しい恋も始まるかもしれないし、始まらないかもしれない。彼のことを、そういう意味で愛しく思える日も近いかもしれない。それは分からないけれど。とりあえず、俺の想いを受け止めて、彼の想いを受け止めて、もう一度、新たなスタートを切ろう。

 

「なぁ、俺タチなんだけど、それでもいいのかよ」

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