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サンタマリアの約束

 

 
「お前は俺の初恋だった」
 繰り返す大地と、決して応えないテオドール。それでも二人は変わらずティータイムを繰り返す。伝えられない二人の想いは……?
 
500円 文庫本サイズ 128p

登場キャラクター

土屋大地 テオドール 平平平平

サンプル

 

 

「お前は、私の初恋なんだよ」

「大地さん、とりあえずお茶でも飲めよ」

 目の前に座る男は、大地のためにティーポットを傾けた。その動作は筋張った無骨な指に似合わぬ繊細さだった。ギリシャ彫刻のように整った指先が、ティーポットと合わせてまるで美術品のように見え、大地は目を細める。白いカップの底で翼を広げる鳥が、とろとろとした甘味を孕む琥珀の海に沈んでいく。それを眺めながら、大地はなんとかはぐらかそうとしている男を窘めるように、やんわりと言った。

 

「出会った時からね、好きだったんだよ。だから、そんな他人行儀に呼ばないでくれ、いつもみたいに大地と呼んでくれないか」

 

 少しだけ困ったように目を逸らした彼は、そのすっと引かれたような凛々しい眉根を寄せて、言いにくそうに大地、と呟いた。その響きに、大地は胸の奥がぐっと締め付けられたような気持ちになる。拒絶するかのようにさえ聞こえる硬い声。彼の唇を震わすそのたった三文字が大地の心を揺さぶった。

 

彼は、出会った時からそうやって拒否するような対応をしていた。しかしそれは単なるポーズでしかなく、寄せられた眉は感情をコントロールする為のものであるのだと、大地は解釈していた。

 

「お前は、好きだと言ってくれないのか」

 

 微笑みながら首を傾げると、彼はカチャリとカップをソーサーに置いて、口元を緩めた。穏やかにも見えるその顔が、一瞬、引きつったのを大地は見落とさなかった。

 

「馬鹿馬鹿しい。お前のことなんてどうとも思ってない」

 

 そう言う声が、少しだけ掠れるのは、出会った頃と同じ。伏せられた瞼の下、アイスブルーに揺れる感情。その感情をなんと呼ぶかを知っていて、大地は逃げ道を残す。それも、前から変わらない。指を組み、肘をついて目を伏せる彼は何かに祈るようで、この行為はまるで儀式のようだった。

 

「あーそうかい」

 

 紅茶に口を付ければ、暖かさと共に香りが口いっぱいに広がっていく。彼がどうしてこれ程美味い紅茶を淹れるかを、大地はよく知っていた。彼の初めて淹れた紅茶がどんな味だったかも、よく覚えている。

 

「やっぱりテオドールの淹れたのが、一番だ」

 

 そう言って息を吐けば、彼の瞳が少しだけ光を受けて煌くように見える。実際は、大地が口を付けたカップに沿って視線が揺れた程度であり、たいして嬉しそうな顔をした訳でもなく、まして微笑みをその顔に湛えた訳でもない。元から無愛想でほとんど感情を顔に出さない彼は、相変わらずむっつりと黙り込み、その腕を組むのみ。

 

しかし、出会った当時は淹れられなかった紅茶も、今や大地の好きな銘柄を、その風味を飛ばすことなく旨味を生かしきった淹れ方をしてくれる彼から、確かな愛情を感じずにいられようか。そう思っても、口にしてしまえば彼の心を無意味に傷つけるだけだと、大地は口を閉ざしている。

 

少しだけ開けられた窓から流れてくる風が頬を撫でる。風下にいる大地のもとに、すっきりとした男物の香水の香りが仄かに運ばれる。その香りは、彼の吸う煙草と、彼自身の香りと混ざって、大人の色気を漂わせていた。夜が彼の後ろからひたりひたりと歩いてきて、そっと首筋を撫でていくような、どこか感じる後ろめたさ。香水など匂いものはさっぱり好きではなかったが、彼の香りに変わった途端、夜の愛撫にぞくりと背筋を震わせることになる。

 

「テオドール」

 

 愛しさを込めて名を呼べば、彼は伏せられた目を大地に合わせた。その切れ長、左目の目尻を彩る色彩。濃い青の刺青が目尻から額にかけてうねる。どこか炎を思わせる中心に揺れる瞳は対して静かな水面のように澄み渡る。しかし、いつもどこか凍てついている。その表面が割れてしまえば、氷の下、たゆたい固まることすら出来ずにいる冷たい水が溢れ出て、その頬を伝っていくだろう。その危うさたるや。

 

「綺麗だ」

 

「どうも」

 

 口元が少しだけ歪んだ。彼のその痛みを堪えたような笑みを見て、大地は愛しいということは哀しいということなのだと、ほとほと困り果ててしまうのだった。何れ程愛していたとしても、彼のその氷を、暖かな色に溶かしていくことが出来ないという事を知っているが故に、大地もまた、なんとか口元を引き上げ、その顔を笑みの形に変えざるを得ない。

 

 インターホンが鳴った。弾かれたようにテオドールの顔があがる。その目は安堵と、それでいてどこか深い諦念と恐れを抱いたような複雑な色を含んでいた。大地は、この一瞬があまり好きではなかった。

 

「……出てくる」

 

 テオドールが鍵を外しに出る。外から、どこか聞き覚えのある声がする。

 

「おーい、帰るよ!」

 

 大きな声が大地を呼ぶ。その声に、のろのろと立ち上がる。玄関には、見慣れた顔があり、大地は一番愛する時間の終わりに、眉尻を少しだけ下げた。

 

 

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