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アイラブユーが聴こえない

 

 

 

 

 6月27日

 俺は恋人の文弥のことが大好きすぎて、今日から二人の歴史を日記につけることにした。この日記は、絶対に後から読み返して幸せな気分になるものになるだろう。

 本当に文弥は素晴らしい。生徒会長で、剣道にも励み、眉目秀麗、成績優秀、性格もいい。そんな彼が、俺の恋人だなんて。

まず、今日の朝は、いつものようにおはようメールを送った。忙しいらしく返信はなかったけど、俺がおはようと言いたかっただけだから問題ない。部活に生徒会、学校では、いつもあちこちに駆け回っていたから喋ることができずに残念だった。夜は、おやすみメールを送った。寝ているのか、返ってこなかった。

 

 6月28日

 今日もいつもと違っておはようメールは送らなかった。なぜなら、今日から俺は弁当を作るからだ! 朝の忙しい時間からおはようメールは、鬱陶しいだけという可能性もあることに、昨日寝る前に気づいてしまったのだ。だから、今日から俺は弁当を作る。なぜなら食は人間の健康を支える一部だからだ! 文弥が朝練後に何か軽く食べているのを知っているから、それを補いたいのだ。いつもパンとかばかりだから、栄養のバランスのいいものを食べてほしい。弁当作りなんて初めてだし、うまくいかないかもしれないけど、作るのだ。たくさん焦げてしまい、かなりの材料を無駄にしてしまった。

美味しく出来なくてごめんね、次は頑張るから、と、今日も一日がんばろう、を小さなメモに書いて弁当袋に入れて学校に持って行った。練習の邪魔をする訳にもいかず、靴箱に置いた。そうしたら気づいてくれるに違いない。

 でも、弁当はごみ箱に捨てられていた。俺は弁当を作ったことで満足していたが、すっかり失念していたことがあったのだ。そう、今は夏。中身が腐っていたらしい。悪いことをしてしまった。捨てるのにも色々と悩んだに違いない。次回はちゃんと保冷剤を入れて渡そうと思った。

 帰りは、それをメールで謝ってから帰った。

 

6月29日

 今日も俺は、弁当を作った。リベンジ戦である。今日はしっかり保冷剤も用意してある。あらかじめレシピも覚えてあるし、腐りやすいものも調べた。おかげで、今日は昨日よりずっときれいな弁当ができた。満足して、冷ましてから弁当箱に具を入れる。昨日と同じように、一言メッセージを付けて、靴箱に弁当を置いた。そういえば、あることを知らせておけばいいのだ、と弁当を置いておいたことをメールしておいた。喜んでくれたらいいな、と思う。

 ふっと、そういえば最近会えてないな、と思う。部活、部活、で忙しいのだ。いくら文弥を応援したいとはいえ、やっぱり会えないと寂しい。話をしたいし、俺にあの笑顔を向けてほしい。クラスも違うから、時々すれ違うか、窓の外に見えるか、といったところ。会うことすら出来ない日もあるし、なんとかならないかなあ、と思いはするけど、どうにもならない。とりあえず今日は眠ることにする。

 

 6月30日

 今日は昼休みに中庭に行ったら、昼食をとっている文弥を見つけた。美しかった。天気がよかったので、普段ですら美しい黒髪に夏の光が反射していつも以上に輝いて、朝から心躍った。文弥はほんとうに綺麗だ。すらっとした体に、小さな顔、しゃんと伸びた背筋。まっすぐ前も向く姿は清廉という他ない。本当に綺麗で、いつまでも見ていたくなる。色々と書きたいことはあるけど、久々に会えてすごく幸せだったから、この喜びを書いて終わる。今寝たら絶対にいい夢が見られそうだから! 何より、明日はすごく楽しみなことがあるのだ。

 

7月1日

 今日は憂鬱金曜日。花の金曜などと誰が言った。土曜、日曜に文弥に会う予定はない。会えない間乗り切れるように文弥成分をたくさん得てから土曜を迎えるように意気込む。

そういえば、弁当作りをすることにもそろそろ慣れてきた。けれど、今日はうっかり火傷をしてしまった。なぜなら、土日を乗り越えるための一大イベントを企画して、心ここにあらずの状態だったのだ。

そう! 今日は、文弥と初めて一緒に登校する、記念すべき日だった! 俺と文弥の家は全然違う方向にあるけど、それでも一緒に登校してみたくて、俺がわざわざ家に迎えにいくことにしたのだ。けど、同じ電車で出会った部活のマネージャーと、あんまり楽しそうに話すものだから、俺に気を使っても悪いし、と俺は距離をとった。

 そりゃ、恋人が傍に居たら、いくら友人だって気楽にはしゃげないだろ。いいんだ、俺は文弥が楽しそうにしている顔を見ているのが好きだから。だから、ちょっと離れてその様子を見ていた。すごく楽しそうに話す文弥が眩しかった。俺のことを忘れたように、すたこらさっさと電車から出て行ってしまったけど、その笑顔に免じて、まあ許そう。

 あまりに爽快すぎる朝だった。わざわざ遠回りして同じ電車に乗ったかいがあった。今度から、帰りも同じ電車で帰りたいと思った。

 笑顔に見とれていて弁当を渡し忘れてしまったから、弁当は机の横にかけておいた。

 普段はなかなか喋れなくても、会えなくても、こうすれば会えるのか、もっと俺は時間を作って頑張るべきだと思った。土日は暇だから、色々と考えようと思う。とりあえず、土曜日は新しい弁当のレシピ本を買いに行くことにした。

 

 7月2日

 今日は、レシピの本以外に、ちょっと早いけれど来月の文弥の誕生日に何を買おうか下見してきた。そんでもって、デートに着ていく服やアクセサリー、靴類も。どうせなら会う時は、こんなどうしようもないし、文弥には全然つり合いの取れない自分でも一番だ、と言えるような状態で会いたいのだ。へなちょこな格好で傍を歩いて、文弥まで下に見られるのなんて絶対に嫌だから。ついでに、弁当箱と弁当袋も新しく買ってきた。清潔感があって、さわやかな青いシンプルな弁当箱。袋は、紺のシックなものを買った。これに何を詰めようか、と今からテンションがあがった。最近は弁当作りがかなり楽しく感じられる。

 

7月3日

 今日は、特に何もなかった。文弥に会いたい。サザエさん症候群とは真逆に、明日は花の月曜日。忙しいのは分かっていたものの、今日は勉強以外何もしなかったことや、会えなくてさみしいというメールを送った。

 

 7月4日

 楽しみにしていた、月曜日。新しい弁当箱、新しい弁当袋。それだけでテンションが上がる。今日も一緒に登校する。遅れないように予定する時間より十分以上前に家を出た。今日も電車で、マネージャーが一緒に乗り合わせた。楽しそうに文弥と会話をする、ふわふわとゆるく巻いた茶髪が肩口で揺れていた。いかにも女の子、といった風な少女。俺は、そんな彼女が妬ましい。

「文弥ぁーあっついーアイス買ってー」

 そんな風にねだる声が嫌いだ。文弥の財布をなんだと思っているんだ。こういう下品な女が嫌いだ。にゃぁ、などと媚びるように猫の鳴きまねをするのも嫌いだ。そんな声を上げて、文弥に、彼に、髪をなでられている彼女が嫌いだ。俺は、どうしたって女には敵わない。文弥は男、俺も男、恋人と言っても、大っぴらに言う訳にはいかない。俺はよくても、文弥が嫌な目に合うのは絶対に嫌だ。だから、そんなこと周りに悟らせる訳にはいかない。勿論、人前でいちゃつくなんてこともできない。彼女みたいに、何の気もなく腕を絡めたり、後ろから飛びついたり、そんなことはできない。

夏服から透ける彼女の砂糖菓子のような甘ったるい色をしたかわいらしい、しかし、どこまでも女を主張する下着にも腹が立つ。

あんな女は、俺は嫌いだ。

 

 7月5日

 昨日のイライラを引きずったせいで、弁当に失敗した。電車には、あの女が今日もいた。文弥はあの女を優しく、誰よりも愛しいという風に見つめていた。あの女は文弥のなんなのだ。愛しいという風に見つめるな。文弥は、俺のだ。俺のだ、俺のだ、俺のだ。文弥は、俺の、大好きな人に色目を使うな、見るな、俺の文弥を汚すな。

 

 7月6日

 もう嫌だ。死んでしまいたい。

 知っていた。

 俺なんて別に必要ないんだ。

 俺は、あくまで他クラスの他人。あのマネージャーにいつも話を聞いてもらっているんだろうし、あんなに愛しそうに見つめているんだし。彼女は可愛いし、女女しているし、俺は男だし、そもそも世間から認められない。

 弁当を作っても、毎回あの女に捨てられていた。あの女に気持ち悪いとか言われなくても、俺が悪いとか言われなくても、文弥に悪影響だとか、彼が可哀そうだとか言われなくても、俺は、自分が気持ち悪いこと位知っている。見た目も性格も、成績も、そのほか何一つとしてぱっとしない。見た目も野暮ったいし、自分じゃ全然好きになれない。知っている。けど、好きなんだ。好きだ、好きだ。どれだけ馬鹿でも阿呆でも、不毛でも、会いたい。会いたい。文弥、文弥、文弥、あの笑顔が、俺に向けられたら。

 俺を見て。俺を。誰かじゃなく、俺を。‥‥‥寂しい。

 

 7月7日

 俺は、やっぱり文弥に必要のない人間だ。今日も出したメールは返ってこない。そうだろう、文弥は俺のことなんて、知らない可能性すらあるのだ。俺は、彼が活躍しているのを知っているけど。彼が生徒会長をしたり、剣道場で汗を流していたりとか、そういうのを、いつも憧れと恋慕を込めて見ていたから。メールアドレスは、文化祭で何の機会だったか忘れたが、業務連絡とか称してほかの誰かから手に入れた。

そういえば、今日は七夕だ。織姫と彦星とかいうなら、俺を、文弥に会わせてください。朝の電車も、あのマネージャーの差し金か、時間を変えて乗っているらしい。せっかく何時の何号車に乗っているか調べたのに、合わせて乗ることもまたできなくなった。廊下ですれ違っても、絶対に目を合わせてくれない。寂しい。寂しい。

 でも、好きだから、俺は彼を追わずにいられない。

 

 7月8日

 朝から、文弥の家に行った。5時。そっと後を見守った。俺は、見ているだけでいい。どうせ、釣り合わないし、男同士だ。どうにもならない。頑張ったかいあって、どの電車に乗るかが分かった。あのマネージャーも一緒だったから、ばれないように隣の車両に乗った。窓から、ぎりぎり見える位置を選んで、ずっと文弥を見ていた。人が邪魔なときは、携帯を開いた。部活している姿を撮った写真を見ると、少し元気になった。もう、近付くのはやめようと思う、どうしたって、文弥の迷惑にしかならない。だから、俺は遠くから彼を見ていることにした。

 

 7月9日

 文弥の家に行った。

 

 7月10日

 一日中、彼の家、彼の部屋を見ていた。

 

 7月11日

 弁当は、どうせ届かないからと言って、届けるのをやめたりなんてしなかった。可愛いラッピングを買って、片思いの女の子を装って置いた。俺の想いが届けばそれでいい。今日のサンドイッチは、我ながらおいしそうだ。そして、今度から電車からと言わず、家からそっと見守ることにした。文弥は今日も綺麗だった。朝早くからでも、凛とした姿勢で、あくび一つせずに朝練に向かう姿。本当に綺麗だった。

 通勤ラッシュの駅のホームの人ごみでも、それは変わらない。素敵で、素敵で。夏の暑さに流れる汗をそっと拭う姿すら美しかった。彼は魅力にあふれているから、人も集まってくるのがよくわかる。けど、彼女が彼の傍にいるのは許せなかった。

 また、あのマネージャー。今日は、なぜか腕を絡ませていた。困った顔をして、文弥はそっと手を解いていた。頭に血が上った。

 しかも、あの女、なぜかわざわざ俺のところにやってきて、気持ち悪い、文弥のためにならない、やっていることは犯罪だ、正しくない、文弥が嫌がっているんだからやめろ、などとまるで自分が正義だと言わんばかりに、とうとうと述べていきやがった。

 嫌いだ。俺は彼女が嫌いだ。わざわざ綺麗にラッピングした弁当を目の前に突き出された。適当に持ってきたのか、中身を見たら偏っていたりぐちゃぐちゃになっていたりした。涙が出そうだった。俺の思いは、届かない。放課後は、文弥が練習に励むのを剣道場の裏手からこっそりと眺めていた。彼のちらりと見える足首や足の裏すら心動かしてしまうんだから怖いもんだ。もちろん、開いた胸元、手首、そういったものも。けれど、視界をマネージャーがチラついて、どうしても集中できなかった。

 

 7月12日

 俺は、文弥を刺した。

 あんな女死んでしまえばいいんだ。わざわざ俺を人のいない美術室に呼び出して、また、俺を、見下して、自分が正しいなんて言い方して、可哀そうなものを見る目をして、とっさに近くにあった彫刻刀を振りかざした。通りがかった文弥が、彼女をかばった。彼の左の掌に彫刻刀が刺さった。俺は、文弥を刺した。文弥は、教師に、自分の不注意だと嘘を言って病院に向かった。

 彼女を、かばった。彼は、俺よりも彼女を、大事にしているのだ。そして、俺は、あの文弥を刺した。俺は、もう、顔を合わせられない。もうそろそろこの日記も終わるんだろう。文弥を刺すなんて。俺も、死んでしまいたい。カッターで、手首を切った。痛くて、死にたいと思うのに切りきれなかった。俺は馬鹿だ、馬鹿だ、馬鹿だ、馬鹿だ。死ね、死ね、死ね死ね。死にたい。文弥、会いたい。ごめん、会いたい。会いたい。文弥、結局親にばれないように傷も手当てしてしまうなんて俺はただの臆病者だ。

 

 7月13日

 

7月14日

 

 7月15日

 昨日休んでいた文弥が、今日は学校に来てよかった。文弥の怪我は、酷かった。カッターは、神経を傷つけていたらしい。今は痛みが、ひどく、それが引いても完全に動くようになるのにかなりの時間もかかるそうだ。動いたとしても、痺れなどが残ったりするらしい。

 文弥は、あれだけ頑張っていた剣道部をやめた。俺は一番大事な人の、大事なものを奪った。

 メールを打った。謝罪と後悔、そしてこれからは二度と近づかないことを告げた。初めて、メールが返ってきた。彼は、俺に明日会いたいと言った。

 何を言われてもしょうがない立場なのに、俺は期待してしまった。詰られ、罵られる恐怖などなく、ただ、会えることが嬉しかった。最低だった。俺は、どこまで最低になれるのだろう。

 

 7月16日

 文弥に責任を取れと言われた。奴隷のように傍にいて、彼の言いなりになればいいのだろうか、それならそれでいいと言った。俺の自由はなくなった。でも、嬉しさしか覚えなかった。これで、俺は何の気兼ねもなく、傍にいられる。公式に、傍にいることを認められたのだ。

 学校では体裁があるから、奴隷としてではなく、新しい友達として振る舞ってくれるらしい。喜んじゃいけないってわかっている、けれど、俺は、今、嬉しくて、嬉しくて、しょうがない。何でもやる。本当に何でもやる。俺は、文弥のためなら死んでもいい。泣きながらその手にすがり付いた。勿論、流す涙は嬉し泣きの涙だ。

 

 7月17日

 彼の家に呼ばれた。これからの生活に支障が出ないように、お互いの性格や、友達になった経緯などの設定を色々話した。細かいこともある、しんどいこともある、けど、俺は、彼の犬だ。尽くす苦労よりも、今彼の家にあがっているということがご褒美のようなもので、嬉しくて仕方がない。

 

 7月18日

 学校生活で、昨日話し合ったことを実践しようとした。なかなかうまくいかないこともあったし、彼の友達には、俺みたいなのが傍にいることに違和感を覚えられたが、なんとかなりそうだ。

 でも、一番近いところで彼を見ていられた。彼を知るために携帯も毎日チェックしている。なぜかマネージャーは、あれ以来彼に近づかなくなった。捨てられ続けていた弁当は、とうとう彼の口に入った。彼は、ちょっと感心したように、美味いな、と笑った。

 嘘みたいだ。夢みたいだ。俺は、今幸せだ。これからも、彼に従い、尽くして生きていけるのだ。

 

 

 

ハッピーエンドは伝えない

 

 

 

「ごめん、僕は君とは付き合えない」

 文弥はマネージャーである少女に告げた。彼女は目にいっぱい涙を溜めていた。

「あの気持ち悪い男が、いいの」

「彼は、僕に対して責任を取っているだけだ」

 こういう女は面倒くさい、と文弥は内心で思いつつ言った。べたべたと触られるのが不快だった。けれど、耐え忍んでいたのは、ひとえにあのストーカー男を手に入れたいからだった。彼が文弥をずっと熱い目線で見ていたのは知っていた。いつか、馬鹿な行動を起こすだろう彼に、責任を取れというつもりだった。それが、ここまで酷くなるとは……感覚のはっきりせず、痛みばかり感じる左手を見て思う。

「僕も、剣道を失って……いろいろ考え直したいんだ」

 じゃぁ、と言って彼女の前を去る。もちろん、向かうのは彼のいる教室。今日も朝早くから弁当などという可愛らしいものを作っていたせいか、彼は机にうつ伏せて寝ていた。ちらりと見える手首の包帯が痛々しい。

 けれども、文弥はどこか薄暗い快感を覚えていた。彼は、そこまで熱烈に文弥のことを愛しているのだ。それを、いつまでも続けるにはどうしたらいい。罪悪感で縛り付けて、手に入らないものと思わせて、二重にも三重にも縛り付けたらいい。

 マネージャーと一緒にいるときには彼のことしか考えたことはない。彼女といることで、どれだけ嫉妬するのか、どれだけ絶望するのか。どれだけ苦しくても、自分を愛せずにはいられないだろう彼が愛しくて、愛しくて仕方がない。それが顔に出ていたのだろうが、勝手にマネージャーが自分に向けられた顔だと勘違いし、盛り上がって彼を遠ざけようとしていたが、彼女を通して彼を見ていただけで、いい迷惑だ。

「起きて、葉祐、用事は終わったよ、帰ろう」

「ん……ふみ、や?」

 野暮ったくて、ぼさぼさにすら見える黒髪の癖毛を指に絡める。自信のなさが表れる、目にかかるほどの前髪、更にその目を隠すような分厚い黒縁眼鏡。その向こうのどろりと熱を孕んだ瞳が、今、文弥を見る。

 

 

 

パラドックスは暴けない

 

 視線を感じた。正しく言おう、熱い視線なら正直腐る程浴びている。顔よし、成績よし、運動よし、性格よし、そんな人間が高校にいたら、それはモテるに決まっている。そういう男に向ける眼差しに相応しい熱っぽく、どこか狂気に満ちたソレは、にもかかわらずにどこまでも透明に澄んでいた。だからこそあっさりと、しかし深々とその凶器は俺の心に突き刺さり、血を滲ませた。流れ出た血の名前は、執着。

 

「文弥」

 目にかかっていた長い髪は、野暮ったく、適度に切り揃えてワックスをつけさせた。高身長を全く生かせない丸まりすぎた背筋も伸ばさせた。そうしてみると、スポーツの経験のない者の筋肉のなさによる薄さはあるものの、以前よりよほどいい男に仕上がった。

「ああ、葉祐か」

 にこりと微笑むと、彼の頬が染まり、照れたようなはにかみ笑顔が浮かぶ。外野の視線の温度が上がった。その視線をどうやら彼は俺に向けられたものだと思っているらしいが、今やそんなことはない。熱い視線のいくらかは彼に向けられたもので、二人並んでいればいわゆる絵になる、状態が出来上がる。それを眼福とばかりに拝んでいる人もいれば、憧れの目線を向ける者もいる。本当は、とっくに彼は俺の手には負えない位の大きな存在になっている。

「今日は、僕の家に泊まっていきなよ」

 ぱぁっと彼の顔が明るくなる。背中に犬の尻尾が見えるのは気のせいではあるまい。虐げられるだけだと分かっていて、彼は俺を絶対と崇め、俺からの全てを天から与えられた恵とばかりに悦んで享受する。彼にとっては、俺という神から見放されることが恐怖である。だから、俺がしっかり目をかけていれば、彼は従順な信者だ。そしてもし目を離すと、信仰故に狂う過激派になる。俺に対するストーカー行為は、端から見れば異常でしかなかっただろう。

「文弥」

 人の顔色を伺うような上目遣い。折角見た目を変えたのに、伏せ目がちだったり、おどおどした態度をとったりといったことは相変わらず治らない。特に、俺に関することだと尚更だった。

 自分のベッドに横になった彼を見下ろし、左手の人差し指を唇に這わす。漏れる熱い吐息が指先にかかる。恍惚とした顔をして、彼は薄く口を開く。

「舐めたい?」

 こくりと喉が上下する。期待の眼差し。彼が付けた傷跡が残る左手を彼の前でちらつかせる。彼は頭を起こして、恭しく手の甲にキスをした。何度も繰り返したその行為で、彼の顔に浮かぶ感情は主に二種類。罪悪感と、陶酔。その比率は、最近陶酔に偏っているけれども。

「いい子だ」

 乱暴に指を口に含ませる。喉につく位奥に突きこめば、彼の眉が苦痛に歪み、咳き込み、嘔吐き、涙が滲んだ。その涙を舐めとり、今度は優しく口内を撫でさする。唾液を指に絡め、掻き回す。濡れた瞳に笑みを返してやれば、苦痛の表情はあっという間に快楽に侵される。蕩けきった顔に、欲情を煽られるが、ぐっと堪える。まだだ、まだ足りない。

「葉祐、お前は誰の物だ」

「文弥、の、もの」

 指が邪魔して舌足らずになった声。この低い声を可愛らしいなどと思うなど、どうかしている。べとべとになった指を引き抜いて、今度は彼の骨ばった指に絡める。

「なら、何をしてもいいんだね」

 とろんとした目に欲望がさす。彼の欲望に形を与えたのは俺で、じわじわとその身を侵す甘い毒の種を植え付け見守る。元より俺から離れられない彼の体を、俺から生まれた蔓で絡げて、気づかれないように少しずつ締め上げていく。

「文弥、愛してる、誰よりも、愛してる」

 シーツをきつく掴み、必死で名を呼ぶ彼が愛しい。愛の言葉なんて要らない。俺は、愛していない。

「葉祐、ずっと俺の物でいさせてあげるから」

愛よりも強く俺を求め続ければいい。誰も彼のことなど見なければいい。俺だけが彼を、彼は俺だけを見ればいい。俺は、彼に愛しているなどと言わない。永久に俺に囚われていればいい。

 愛していると言うには、もう遅すぎる。

 

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