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君と僕との懲りない生き方

 

 

 

 

 

「あ、電気落ちた」

 パツン、と音がして部屋が真っ暗になる。ガタッと音を立てて、隣にいた新開が立ち上がった。川村はまだ全く暗闇になれない目でそちらを見た。新開は立ったまま微動だにせずにいる。

「……し、新開さん?」

 その手に触れると、勢いよく手を振り払われた。むっとして手首を掴むと、本気で抵抗され、思わず川村は新開の体をベッドに引きずり倒し、背中に乗り上げて腕をゆるくひねり上げた。

「い痛いんだけど」

「……ったい……」

 震えた声。掴んだ腕も小刻みに震えている。ふむ、と川村はその首筋に唇を当てた。びくりと大きく体が震える。

「怖い?」

 尋ねてもぜぇぜぇと荒い息遣いが返ってくるのみ。自分以外に乱されている姿はたいして面白くもない。川村は少し思考を巡らせ、空いている手で彼の目元を覆った。

「清史郎」

 言い含めるようにゆっくりと名前を呼ぶ。いつも呼ばない名前を呼んだのは新開の注意を引くためだ。そして、同じようにゆっくりゆっくり囁く。川村の声がちゃんと聞こえるように、伝わるように言い含める。きちんとこちらを見ろ。手のひらに力が加わりそうになるのを川村はこらえた。

「……僕が普段してるのと、変わんないでしょ。こうすると見えない分反応が可愛くなるよね」

 少し声に苛立ちが混ざったが、新開にはそんなことはわからないだろう、といいように解釈する。目の前にある耳を甘噛みするとひゅっと息を飲む音。

「川村、君」

 引きつった声だが、新開の口が開く。ふっと口元を緩め、川村は吐息で耳をくすぐった。

「おんなじでしょ。今日は何してあげましょうか? 優しくされたい? それとも激しくされたい?」

 ねっとりと首筋を舐め上げれば、体の強張りが少し解ける。

「さ、気持ちよくなろうか」

 新開の体が、期待に震えた。

 

 

 口に出しては言わないが、新開が狭いところや暗いところが苦手であるのはなんとなく分かっていた。セックスの後寝るときも必ずテーブルライトで薄明かりを点けているし、セックス自体も電気を全て消すのを嫌がる。明かりに体を照らされるのは恥ずかしがって嫌がる癖に、電気を消そうとすると止めるから、川村としては恥ずかしがる姿を堪能してはいるが、異常だとも思う。彼の目元にクマができているのは疲れや睡眠不足だけではなく、眠りが浅いせいもある気がする。

 でも、別に目隠しされたりするのは怖がったりしない。むしろいつもより感度が上がって面白い。別に暗いだけが問題ではないのだろう。

アパートのエスカレーターに乗るときも体をこわばらせているのを見ると、狭いところもダメだ。それに毎回癪に障る。川村は、自分が仕掛けたことに新開が右往左往しているのが、手のひらで踊っているのを見るが好きだ。

 だから、停電の一件以来セックスの時は必ず全て電気を消している。明らかに新開が息を詰めるのだが、全て無視だ。そんなの気にしている場合か、とセックスに没頭させる。喘ぎはじめた頃には暗闇の恐怖で強ばった体の緊張が解けている。そうすると、少し川村は優越感のような物を覚える。

 彼をどうこうできるのは自分だけでいい。そんな自分に気づいた時に、川村は溜息を吐いた。こうなってしまうと止まらないのは経験上よくわかっていた。川村はいつもそうだ。ヤバイと思った時には既に遅い。

 たまらないのだ。危うい綱渡りをしながらキンと張り詰めた糸を切らないように必死で自分を保つ姿が、それが崩れかけたときに、必死に助けを求めて人を欲する姿が。

 全てほしい。怯えさせたい、泣かせたい。全部晒したい、自分を保っていたものを壊してやりたい。なんて。この凶暴な気持ちを、人は恋とは呼ばない。そして川村もまた、それを理解していた。

 

 

「……はぁ、疲れた……」

 新開は相変わらずドライアイで辛い目元を揉みほぐしながらエレベーターに乗った。本当ならばエレベーターなど乗りたくないが、自宅のエレベーターくらいならば乗れないこともない。疲れている時に何段も階段を上りたくない。

 ガシャンと音を立ててエレベーターが閉まる瞬間、おれが一番胸がバクバクと言ってくるいい。大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせながら意識を逸らす。ふぅ、と息を吐いて壁に背を預けた。

 ガシャン、と音が鳴った。

「っは……!?」

 目の前が真っ暗になる。ゾッと背筋が凍った。息が苦しい。バクバクと心臓がなる。どうしようどうしようと非常ボタンを探す。見当たらない。インターホンが、通じない。

 怖い、怖い怖い怖い。

 自分の荒い息だけが聞こえる。エレベーターの軋む音。意味もなくドアを叩く。金属のドアはびくともしないし、自分の手が痛いだけだった。反響する音。

「っだ、やだやだやだやだ」

 ガタガタと震えながら、隅で座り込む。とにかくこの恐怖から逃げたかった。小さく、丸く、自分の膝を抱えて大きな音を立てる自分の心臓の音を聞く。

「考えるな、考えるな、怖い、怖い怖い……考えるな」

 そうしている時間は短かかったかもしれないが、新開には十分にも一時間にも感じられた。

 ブーブーッと、バイブ音がして、びくりとした。音を立てたスマホの明かりに少しホッとする。そんなものがあることすら忘れていた。

慌てて電話を取ると、聴き慣れた声。

「新開さん?」

「川村、くん」

 人の声に泣きそうになる。たった一人でいつ来るかわからない助けを待つよりマシだ。助けて、ここから出して、叫ぶように新開は訴える。

「はい? 今どこなの?」

「エレベーター、うちの、アパートの。わかんないです、故障? 止まって、電気切れててっ……」

「はいはい、了解。とりあえず落ち着いてー」

 適当な返事が返って来て、更に焦る。出たい、早く出たい、と新開はガタガタと震えていた。

「新開さん、とりあえずちゃんと僕の声聞いて」

 耳元で穏やかな低音。

「聞いてるよっ……!」

「清史郎。目を閉じて、僕の声だけ聞いてて」

 ヒステリックな新開の声とは逆に、川村はあくまでゆっくりと話す。じわじわと侵食していくような声に引きずられる。何をいっても無駄な気がして、涙が出そうだった。言われるがままに目を閉じる。

「聞こえてますってば……」

 情けない声を笑う訳でもなく、川村は淡々と耳元で囁く。

「うん、偉い。じゃ、体の力抜いて、僕の声に集中して、僕は貴方のすぐそばにいる」

 低い声を更に落とされる。ゾクリとした。その声は、川村がいつも新開の耳元で囁く声と同じ。そっと彼の冷たい指が首筋に絡んだ気がした。

「僕の指、今どこ触ってるかわかる? とりあえず髪の毛撫でてあげようか。新開さん首の上辺り撫でられると力抜けちゃうよね」

 ぞわぞわと首の上辺りがする。思わず自分でそこに触れる。川村が割と好んでその辺りをなで上げる。彼にそうされてはじめて髪に触れられるのも感じるのだと知った。必要以上の快楽を感じるというより、脱力するような気持ちよさを感じるのだ。

 は、と吐息が漏れる。

「そこから、そうだな、耳をなぞって、首をくすぐってあげるね。それから鎖骨をなぞろうか」

 くぅん、と猫のような声が漏れた。やれと言われている訳ではないのに、彼の言葉通りに指が自分をなぞっていく。変な倒錯感。

「うん、しばらくそのへん触っていてあげるね。こんなところであまりえっちなこともできないでしょ」

 このあとが楽しみだね、と囁かれてきゅんと体が疼いた。彼の器用な指が自分の体をなぞり、痛いくらい乳首をいじめて、それから、散々嬲られた場所を彼の規格外のもので貫いて、今までされたことが頭を駆け巡る。

「今、何考えたの」

「っ、何、も」

「嘘つき」

 ふっと耳元で笑われれば、その吐息に耳をくすぐられる気持ちすらする。

「乳首ぎゅって抓られたり、指でピンピンされるとこ想像した? それとも亀頭責めされて辛いのにイかしてもらえないところ? 逆に泣いちゃうくらい前立腺ぐりぐりされて何度もイかされるとこ?」

 全部まざまざと想像してしまって体が熱くなった。漏れる声が熱を持ってることは、新開も気づいている。

「考えてっ、ないですよ……」

「あとで本当か確かめてあげるから大丈夫だよ」

 全身を、川村にくまなく愛撫されているような錯覚に陥る。そういえば、最近はずっとセックスは暗闇でしていた。おかしなものだ。

ガタン、とエレベーターが揺れた。明るい光がまぶた越しにもわかった。顔をあげる。ギィ、と音を立ててエレベーターが開いた。自分が降りる階だ。

『よかったね、動いたよ』

 エレベーターの扉が開いた先、声がスマホと聞こえる声とかぶる。川村が薄い笑みを浮かべて立っていた。新開はフラフラと立ち上がり、近づいた。彼の腕が新開を受け止め、ポンポンと背中を叩いた。

「ん、怖かったね」

 いい大人をからかうんじゃない、と思いながらも、彼のその子どもにするような仕草にほっとしてしまう自分もいた。

「部屋、か、帰ろう」

「君の部屋、じゃないですけど」

 そう言いながらも結局彼を入れてしまうのだ。玄関をあがると、川村が思い出したように言った。

「そうそう、新開さん」

「なんですか」

「勃ってる」

 ハッとする。川村はにやにやとしながら言った。

「君が、変なこというから……!」

「ほら、やっぱり考えてないって嘘だったじゃん」

 伸ばされた手が頬に触れる。その仕草はゆっくりで、新開は避けることもできたけれど。頬に触れる冷たい手。ただ頬に触れられるだけで、びくりと震えるなんて。

「……えっろい顔」

 そういう川村の顔も珍しく高揚していた。冷たい手は緊張で冷え切った新開の肌よりは暖かくて、じわじわと滲んでいく体温に、新開は自分が侵食されていくのを感じた。

 他人が自分に踏み入ってくるのは、どうしていつもこんなに気持ちが悪いんだろう、と吐き気を覚えながらも与えられる快楽にいつだって流されてしまうのだ。

 

 

 意識が落ちるまでいいようにされて眠る新開の頬を撫でる。今ならわからないだろうとその額にキスをして、川村は帰る支度をはじめた。

新開は、普段スーツを着て外にいる時は仕事ができて嫌味な風を装っているが、一度崩れてしまうと無防備だ。不審なことにも気づけない。

「どう考えても、僕からの電話のタイミングおかしいでしょ」

 くぁ、と欠伸をしながら荷物を持つ。エレベーターを止めたのは川村だ。ちょっとヒューズを細工させてもらった。住人の皆さんにはごめんなさいだが、まぁせいぜい三十分というところだ、許してほしい。

 あとは最大限パニックに陥ったところを電話をかけてやるだけ。うまいこと策にはまって熟れ切った新開をにんまりしながら頂くこともできて、守備は上々、といったところだ

「でもまぁ、いつまで持つかなぁ」

 新開の顔には徐々に疲労の色が濃くなっている。潰れてしまうのは川村の望むことではない。けれどこうして追い詰めることをやめることもできない。ふっと息を吐いて川村は苦笑いした。

「もう少しだけだから、付き合ってね、清史郎さん」

 

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