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君と僕との懲りない生き方

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、あなた川村君、ですよね?」

「……そ、そうですけど」

 川村が顔を上げると、ゆるい外ハネに髪をセットした男が一人。目元にはクマが浮かび、少し不健康そうに視える。見覚えのない人だった。

彼はにこりと笑って名刺を一枚差し出してくる。ちらりと、有名な新聞社の名前が見えた。もらってもゴミにしかならないと考え、それを断ると、彼はそう、と言いながら胸ポケットにそれをしまってから川村の目を見た。

「この前のさぁ、事件」

「なんですか」

「手が切り取られた死体」

 はぁ、と川村は首をかしげた。最近新聞に載ったその事件には確かに覚えがあった。しかし、彼に話しをする気は欠片もなかった。

「君、知り合いだったんですよねー?」

「そそうですけど」

 嘘を言っても仕方がないだろう、諦めて頷く。川村は、元々あまり話しをするのは得意ではなく、どもりがちだった。しかし、こういう時にはそれが出るときっと何かを隠しているように聞こえてしまうだろう。それが面倒くさかった。いっそ全て無視をしても問題はないだろう、そう考えて川村は溜息をついて背を向けた。

「指紋が残ってたって」

 はぁ、もう一度川村は溜息をついて歩き出す。

「待ってって」

 ぐっと腕を掴まれる。

「これ、本当じゃなくてもバレたら進路危ないよね?」

 川村を覗き込む男の口元が歪む。その言葉の裏に潜む意味を気づかないほど川村も馬鹿ではない。情報というのは一度拡散されてしまったら全てを回収しきることなどできないということはよく分かっていた。

 進路などたいして興味はないが、それでもおかしな噂なんて流れないに越したことはない。面倒極まりない。

「わわわかりました、話します。ここ、じゃ、話しにくいから、場所変えませんか」

 ね、と首をかしげると男は嬉しそうに笑った。本当は手荒な真似をしたくなんてないんだけど、そう思いながら川村はこの後の算段を立てた。

「じゃあ、行きましょうか」

 

 

「えっと……ここは」

「人がいなくて話しやすいでしょ」

 近くの人のこない裏路地に男を連れ込む。男は怪訝な顔をしながらも川村の後ろをついてきていたが、流石に不審に思ったのか、ぐっと川村の手を掴んだ。

「待って、ね、ちょっ……!?」

 くるりと手のひらを返してぐっと力をかけてやると、びくり、と男の体が固まる。目を見開いてる彼のスーツのネクタイに指をかけて、力任せに一気に引き抜く。弾けとんだタイピンがカシャンと音を立てて地面に叩きつけられた。

「駄目ですよ」

 なんで、と言う彼の体を反転させ、抜いたばかりのネクタイで腕を後ろ手に縛り上げる。所詮その場しのぎなので動いていれば抜けしまうだろうが、パニックになっている今の彼では到底無理だろうと川村は踏む。ぐっと背中を押して体を壁に預けさせる。顔を当てるとコンクリートと擦れて頬が擦り剥けるだろう、と少しだけ手加減をした。この場所は人が来ないので、彼が大声を出さない限りなんとかなる。

「大声出すよ」

「出したら恥ずかしいのは貴方ですけど」

 こういう時は余裕が大事。弱みを見せたらつけ込まれる。しれっと答えて、川村は男のベルトに手をかけた。ガチャガチャとバックルを外し、ズボンの前をくつろげる。

 何が起きているのか理解できていない男が喚き、目を白黒させているのを無視して無造作に彼の下着に手を突っ込む。彼の物に指を絡めると、驚きで彼が振り返る。ちらりと一瞬視線を合わせて、すっと逸らす。そこをゆるゆると撫で、、上下に擦り上げると緊張しているとはいえ徐々に兆してくる。

「っぁ、はっ」

「溜まってます?」

 かぁ、と彼の耳が赤くなった。実際どうかなんて知らないが、揶揄して煽られるならそれに越したことない。構わずぐいぐいしごきあげ、カリに指を絡めれば、上ずった声が上がった。

「よくわからない僕にこんなことされて勃つんですよ?」

「やめっ」

 嫌だよ、と思いながら追い上げる。彼が逃げようと抵抗するが、それも全て無視して、鈴口をくすぐり、亀頭をくるくると撫でてやれば体がびくびくと引きつる。先端からじわりとカウパーが滲んで、川村の手を汚し始めていた。

「……あーぁ、僕の手、べとべとですよ」

 正直、年上男は趣味じゃないんだけど。

「ひ、こんなの、犯罪……」

「ぱっと見訴えられたら負けるのは貴方ですけどね」

 そういうと、体がこわばった。さてと、と川村は再び勃ち上がったものを手の中で弄ぶ。男の息が荒くなる。くっと息を詰め、切羽つまりはじめると緩い刺激に変えたり、亀頭責めに変えたりすることを繰り返す。喘ぎ声が艶を増した。とろりと垂れていくカウパーをなぞるように下からなで上げれば、それだけで辛いのか、無意識に腰を揺らして自分で川村の手にそれを擦りつけて来た。

 わかるわかる、こういうの辛いですよね、と他人事のように耳元で囁く。彼はこくこくと頷く。切羽詰まった男は膝が緩み、壁に体を預けることでようやく立てているような状態。川村より背の高い男の骨ばったうなじはちょうど川村の目の前にあって、うっすらと汗をにじませている。

川 村もこの行為に飽きていた。自分より明らかに十以上上の男の嬌声などそれほど長いこと聞いていたいものでもない。

「じゃ、ここで問題です、どうしたら貴方は許してもらえるでしょうか」

「……ぇ」

 間の抜けた声。ぼんやりとした頭では何を言っているかよくわからないのだろう、川村は早く終わらせようと思って直接的に答えを言った。

「はい、復唱。イかせてください、お願いします」

 え、と疑問を浮かべた彼に、川村は止めていた手を動かした。

「ま……!! ちょ、や……」

「待たない」

 ひんひんと甘い声を上げはじめた男を、川村は容赦なく責め立てた。ぶんぶんと頭が振られ、しっかりとセットされた髪が乱れ、白い肌にかかった。

「やめ、っ……イか……て……おねが……」

「聞こえない、もう少し大きな声で」

「ぅ、ぁ……イかせ、て……くださ、……お願、いしますっ」

ヤケになったように言った男に川村はにっこりと笑いかける。

「嫌」

パ ッと手を離し、ぐっと肩を引く。男の快楽に濡れた顔が顕になる。そのドロドロになった顔をカシャリとスマホで撮影した。彼の顔がはっとこわばる。

「アヘ顔頂き。あ、さっきのおねだりの録音も済んでるよ。覚えといてね」

 写真と録音した音声を聞かせて見せると、男はバタバタと体を動かした。しかし川村が押さえつけているため大きくは抵抗ができない。男の物をしごいた手がべっとりと汚れているのが不快で、男の手を縛っているネクタイでぐっと拭った。

 すっと彼の胸元から先ほど貰いそこねた名刺を引き抜く。ちらりとその名前を確認する。

「じゃーね、新開さん。ここあんまり人来ないから抜いてから出てけばいいと思うよ」

 ひらりと手を振った。余計なことはもうしてこないだろう。後ろから男の慌てた声が飛んでくる。

「腕……!」

「ネクタイ? 落ち着いたら自分で取れるよ」

 やれやれ、疲れた、と川村は軽く肩を回しながらその路地裏を出た。

 

 

 いつもの通学路。川村は変わらない日々に欠伸をしながら帰宅する途中だった。

「川村、君……!」

 名前を呼ばれ、振り返る。

 少しつり上がった目尻。つい最近見たばかりの顔だ。実は、この前出会った時から何度か高校で川村のことを嗅ぎまわっていたのは知っていた。しかし、何も出てこなかったのだろう。わざわざ本人のところに出戻ってくるだなんて。

そこまで情報が欲しいのだろうか。懲りない人だ。川村はふっと口元を緩めて、聞こえないように呟いた。

「……そういう人、嫌いじゃないけどね」

 川村の反応の薄さに業を煮やした新開が再び川村の名前を呼んだ。

「はいはい。こ、こんなとこじゃなんですし、どこか行きましょ」

 面倒くさそうな顔をしている川村に、新開は肩を怒らせる。

「その手には……!」

「ならここでアレ流します?」

 スッとスマホを取り出すと、彼の手が伸びてくる。ひょいっとそれをかわしながら止めを刺す。

「データはちゃんとパソコンに送ってあるんで」

 ひらひらと手を閃かすと、彼はギリ、と奥歯を噛み締めて拳を握り締めた。ふっと川村は笑みを浮かべる。はじめに見た嫌味な笑顔よりはよっぽど人間らしくていい顔だった。

「あー、まぁ、あ、貴方のお家でいいですよ」

「誰が……!!」

 まぁそりゃそうだ、こんな状況でよく知らない高校生を家に入れるはずないか。

「○○市○○町×××―××ここから割と近いですよね」

「なんでそれをっ!」

 ちょっとね、と言う意味を込めて唇に指を当てる。ちょっとばかし色々な方法を用いて名刺情報を元に調べただけだ。青くなったり赤くなったりしてる男をよそに、歩き出す。

「ちょっと、あなた……!」

「僕だって、放って置いてくれたらこんなこと言わなかったのに」

 それは事実だ。誰だって聞かれたくないことの一つや二つある。この前の腕なし事件は川村にとってもっとも蒸し返されたくないことの一つだった。

 だから。

「あ、貴方が悪いんですよ」

 川村はふぅ、と溜息を吐いた。

 

 

「お邪魔します」

 靴を揃えて上がった家は、男の一人暮らしらしい物の少なさで、きちんと整理されているところから新開の几帳面さが伺えた。部屋の真ん中に置かれた机の前に腰掛けると、新開が目の前に座り、ポケットから煙草を取り出した。

「煙草、大丈夫?」

「別に」

 川村がそう答えると、煙草を咥えて火をつけた。彼のすらっとした指に似合う、女が吸うような細長い煙草。少し血色の悪い薄い唇から紫煙が漏れる。

「あの事件の被害者、君と同じ中学校の上級生だったんだって」

「えぇ」

「仲良かったらしいですねぇ」

「えぇ」

「貴方、普段も淡白でぼーっとしてて何考えてるかわからないって聞いたんですけど」

「し、失礼だな」

 そこに嘘は何もなくて、ただ川村は、これ以上その話を聞きたくはなかった。すっと目線を逸らすと、新開はそれを好機ととったらしく、その唇の端を引き上げた。

「君が、関わっているんですよねぇー?」

「腕だけが瓶に詰まっていたらしいですけど」

「自殺だって」

「遺書はなくて」

「指紋が」

 つらつらと新開が吐き出す言葉が流れていく。川村は口を開いた。

「ぼ、僕の、人生最大の失敗の話はもうしないでくれませんか」

「どういう意味? もしかして君が……」

 ふっと川村は口元に笑みを浮かべた。新開の手にした煙草はほとんど終わりかけ。火のついた先端から登る煙。白い指が、ぐしゃりと火を消すとともに白い煙も消えていく。

「僕が、なんですか」

 自由になった指先に自分の指を絡める。机越しの距離、身を乗り出す。彼の体がびくりと震える。ぎゅっとその指を握りこむと、痛みに少し顔が歪んだ。川村は立ち上がり、その腕を取る。ぐっと力を込めて、ベッドの上に引きずり上げ、馬乗りになった。

「こんなことして、私の後ろについてる人が」

「大丈夫です、僕もついてるんで」

 しれっと答える。ざっと新開の顔が青くなった。ベッドサイドに伸びたコードを引き抜いて彼の腕に巻きつける。ぐっと引っ張って片腕をベッドにくくりつける。もう片方も同様にした。

 その間も川村の下できゃんきゃんと暴れていたが、時々びくりびくりと体を震わせ、ぎゅっと目をつぶって固まる様子は少し違和感を覚えた。

「さて、と」

 すっと頬に手を伸ばすと、彼は再びぎゅっと目を瞑った。なんとなく痛々しいその仕草に川村はできるだけ優しく言った。ただ、それが優しさであったかどうかは怪しいところだが。

「気持ちいいことしましょうか。貴方が言い訳なんてできないくらいに」

 ふっと微笑んで唇に指を這わせる。固く閉ざされた歯列を無理やりこじ開けて親指を口内に差し込む。撫でるようにして口内を荒らすと吐息が漏れた。しばらくそうていると、最初は不快そうだったその顔が徐々に赤らんでいく。ずるりと指を引き抜けば、指先を伝う一筋の糸。

「……私が訴えたら、どうなるか分かってるんですか」

「男に無理やりされて気持ちよくなっちゃいました、って訴えるんですか?」

 そう言いながらボタンを外し、首筋を指先でなぞっていく。川村の手も暖かい方ではなかったが、彼の肌も負けず劣らずひんやりとしていて生気を感じられなかった。

 外気に晒された肌がその冷たさに粟立つ。生理的に立ち上がった乳首を指先でそっと撫でる。

「……そんなん感じる訳」

「あ、っそ」

 ぎゅぅっと爪を立てて乳首を抓りあげる。

「っ、い、だぃっ……!」

 痛みに悲鳴を上げた新開の胸元に、川村は唇を寄せた。

「本当に?」

 ねっとりと唾液を絡めるようにして乳首に舌を這わす。優しく、極めて優しく舐めてやる。びくん、と体が震えた。

「あ、ぁ……ふ、ぇ?」

 混乱しているところに、今度はピン、と舌先で弾いてやると、今度は間違いなく甘い声が漏れた。もう片方はゆっくり指先で揉みほぐし、撫で、指先で転がしてやる。小さな吐息が頭上で漏れた。

「嘘つき、ちゃんと感じてる」

 ふっと笑って勃ち上がるものをズボン越しにぐりぐりと膝で押してやると、必死で彼は声を噛み殺した。しかし、彼の身体はびくびくとして彼が感じてしまっていることを隠しきれていない。

 鼻で笑って、ズボンを下ろした。かあっと新開の顔が赤らむ。膝で押した感触から分かってはいたが、彼のものは既にゆるく勃ち上がっていた。太ももを割り開き、そこに体をねじ込む。

「さてと、ベッドサイドにあるかなーっと」

 勝手にベッドサイドを漁る。使いかけのコンドームがあった。それを一個拝借して、指につける。ローションは自分が持っていた使いきりのやつを使って、コンドームを被せた指に絡めた。

「さて、と」

 左手を新開のものに絡め、コンドームを被せたもう片手を彼の後孔に擦り付ける。ひっと、小さな悲鳴。冷たかったかな、とか場違いなことを考える。

 硬くなったものをしごきあげながら、もう片方でむにむにと穴の周りをほぐしていく。はっはっと漏れる吐息はどんどん荒くなっていく。下手に一度イッてしまうと後々辛くなるのは知っているため、手加減しながらしごく。

 そろそろいいかな、と指を一本だけ中に差し込む。ぬるり、と指が中に入っていった。

「ひぅっ」

「前立腺、ってまあ男なら知ってるよね」

 中をゆるゆると傷つけないように指の腹で探る。入口のすぐそば、かたくなったところを見つけると、そっと撫でてやる。びくりと一際大きく体が跳ねた。

「や、ぁ、……そこ……」

「そこ、イイ、ね。了解」

 ぐりぐりとそこを押し込んでやると悲鳴を上げた新開の体がしなる。女のものとは違う、けれど裏返った高い声。

「……こんなに感じてるなんて、はじめてじゃないでしょ」

 冗談で言うと、ぎゅぅっと指を入れた中が締まった。顔を上げると、新開が怯えたような顔をしている。川村はそれを見て、目を細めた。

「なんだ、手加減しなくてよかったんだ」

 中に含ませる指を増やした。バラバラと動かす。ぐちゅぐちゅと抜き差しをする。そうしても彼は異物感や不快感より快楽をきちんと拾っているらしい。同時に彼のものを扱いているのもあるだろうが、それにしても敏感な体だ。

 前と同様にイかせないまま体内を蹂躙してやるとひくひくと太ももが痙攣してきた。

「はは、可愛い」

 そう言うと、馬鹿にされたと感じたのだろう、疲弊した顔が歪んだ。けれどその口からは嫌味も出てこない。喘ぎ声だけ。すっかり広がった後ろにそろそろいけるかとずるりと指を引き抜く。

「あっ」

 名残惜しそうな声。指にはめていたコンドームをゴミ箱に放り込み、自分のズボンを緩める。

「……あ……」

 ベルトを外す音に、ぼんやりと新開が川村に視線をやった。どこか焦点を結んでいなかった目がかっと見開かれ、正気に戻る。

「待って、でか、それほんとうに入れるつも……川村くんちょっと、まっ……や……!」

 確かに、川村のモノは一般的に言ってかなり逞しい方だろう。川村は自分の持っていたコンドームを手早くつけると、にっこりと微笑んだ。

「ちゃんと力抜いといてね」

「ぃっ……! ん、ぐ、あっ……くっぅ……はぁっ……ぁっ……」

 ぐぐっと腰を進めると、ほとんど呻き声に近い声が押し出されたように漏れた。

「っるし……や、……抜い……て」

「抜きましょうか?」

 ずるり、と腰を引く、ほっとして力がふっと抜けたところをズン、と腰を進めると悲鳴があがった。

「っぎっ、……ふ、ぅ」

 その目には大きな涙が浮いてきている。両手は自分の手をくくるコードをぎゅっと握り締めて縋っているように見えた。擦れた手首に赤い線ができてしまっている。そろそろ抵抗も出来ないだろうとくい込んだそれを外してやる。自由になった新開の腕がぎゅっとしがみつくように川村の背中に回った。

 驚いて顔を見ると、ほとんど泣きそうな顔が目の前にあった。

「痛、ぁ……っふっぅ……」

 あまりに苦しそうな姿に、ポンポンと背中をさすってやると、新開は苦しさを逃すようにぐりぐりと川村の肩に頭を擦り付けた。そういえば、と川村は放置していたものに手を伸ばす。痛みと苦しみに少し萎えかけていたそれに触れると、新開の体の力が少し緩む。

 ゆるゆると揺すりながらしごいてやると、新開の声に少しずつ快楽の色が混じっていく。

「だ、……やだぁ」

 とうとうすすり泣くように嫌々と首を振るようになった彼の耳元で彼を追い詰める一言をそっと落とす。

「男に抱かれて、イッちゃいますね」

「いやだああああああ」

 新開の悲鳴を無視して、川村は彼を追い詰めるように手と腰の動きを早めた。どろり、と手の中に彼のものが吐き出され、それからすぐに川村もコンドームの中に精を吐き出した。

 コンドームを処理したあと、ほとんど惚けている彼の顔をダメ押しで写真に撮った。

 

 

 布団にくるまって出てこない新開をよそに、川村は身なりを整えた。ぎゅっと布団を握る手が震えている。まぁいいか、と思いながら帰ろうとすると、地を這うような声が聞こえた。

「ぜったい、ゆるさない」

 この人、本当に懲りないな、と川村は苦笑いを浮かべた。振り返ると、悲痛な顔をしてベッドで体を起こす新開がこちらを強い眼差しで見ていた。

 その視線にどきりとした。張った糸が切れてしまいそうな危うさ、落ちたら割れるガラスのような脆さを、なんとか繋ぎとめているような強さ。そんな視線を、川村はよく知っていた。

「……許さなくて、いいよ」

 背を向けたときの彼がどんな顔をしているのか、自分がどんな顔をしていたのか川村には分からなかった。

 

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